凸森の思弁的卵かけごはん

アニメ/マンガ/本/音楽/映画/グルメetc...エンタメ関連を中心に、日々の徒然を綴るブログです。

俺の財布の中身が156円でも、こんなにも星々は輝いて・・・

 先ほどまで友人のRKとimessageでやりとりをしてした。久々に時間が少し開いたので今夜飲めないか、と送った。RKは今東京にはいなかった。

RK「今実家」
          俺「そうなんか。友人の結婚式?」
RK「いや、一応仕事です」
RK「笑」
          俺「あー撮影関係か( ´ ▽ ` )ノ」
RK「そうそう」
RK「一日3万」
          俺「割良すぎぃ!」
RK「やろ。俺ももう28歳ですから」
RK「笑」
RK「もうそのくらいほしい」

 俺はこの後の返信に詰まった。考えないわけにはいかなかった。自分が明らかに年齢に見合った収入を得られていないという事実を、看過できなかった。
「はっ!この世は金だとかほざいている汚い大人になるもんかよ!くそくらえ!金なんかより、もっと高尚で崇高なものがこの世界を、人々の心と行動を、動かしているんだ。俺はそんなものになりたい。お金を超えた何かを生み出せる何かに・・・」
 そんなことばかり考えていた。従って、「この仕事をすることによって俺の年収は〇〇万円を得られる」とか「将来的に考えて、この仕事は40代平均年収が800万は固い」とか、そんなことを全く考慮に入れないでやってきた。
「自分の興味があることと直接的に繋がっている仕事」それこそが俺の仕事を選ぶ判断材料だった。
 オーケー、じゃあそれでやってみよう。そうして生きてきて今の現状が「月給14万福利厚生無し」のこのざまだ。全く、笑える。
 RKとは8年というスパンで酒を飲んできた。数えきれないほどやつとは酒を飲みかわしていた。そうなってくるとRKの思考の変遷というものを折れ線グラフ的に思い描くことが出来る。一日3万円の仕事を(多分単発の仕事だろうが)得るまで、RKは絶えず自己を"移動"させてきた。その"移動"には常に緊張と変態(メタモルフォーゼ)を伴っていたに違いない。
「俺もう28歳ですから、そのくらいはほしい」
 この言葉にどれくらいの重みが込められているのか?俺には理解できる。
 "戦略"というものが必要なのだ。大学を卒業後、フリーター、業務委託労働を経験し、俺が得たことは"ひとりの人間が社会的かつ最低限度文化的な生活を営むのに必要なお金のものさし"だった。今の俺は明らかにそのものさしの長さ以下の境遇に立たされていることは明らかだった。戦略、戦略、戦略。どこまでを妥協し、どこまでを妥協しないことによって自己充足感を享受しかつものさし以上の金銭を得ることができるのか?これについては常に考えている。考えた結果、今はまだ我慢のときだという結論に至ったので、もう少しこの生活を続けないといけないらしい。はぁー
 昨日、朝の3時に回収があったので帰途に着いたころにはもう4時過ぎだった。俺は自転車で青梅街道を走っていた。南阿佐ヶ谷のT字交差点で信号が赤だったので、俺は止まった。ふと、空を見上げた。東京にしては珍しく、星がきれいに輝いていた。俺がどんなに過酷な境遇であろうがなかろうが、星は輝く。星は決して、自分で輝きたいとは思わない。ただなんとなく、星の寿命がきて、爆発して、その爆発の光が地球に届いたのを俺がたまたま見て「あ、星が輝いているな」と俺が知覚した時になって初めて、星は輝くと言えるのだ。このブログも大体それと一緒だ。一瞬の爆発、それを輝きと知覚してくれる人、そんな訳で、俺が今戦略として行っているのはインターネットリンクによる自身の爆発の拡散性なのである。
 帰り道、俺はセブンイレブンに寄ってATMにアメックスカードを入れ、キャッシングで3万円を借り入れた。
 "一日3万"、このワンセンテンスの中にも、様々な文脈があるのだった。