凸森の思弁的卵かけごはん

アニメ/マンガ/本/音楽/映画/グルメetc...エンタメ関連を中心に、日々の徒然を綴るブログです。

徒然なるままに書いてみた

ごきげんよう。
今日はとてもいい天気。午前中は洗濯を敢行、その間に新聞を読んでました。
今日の新聞の社会面はひどいね・・・。大学一年生が通行中の児童の列に突っ込んだとか14歳の少年がバスジャック未遂とか。。。なんだかなー。

さて、政治面での話題の一つは「大飯原発再稼働か否か」

 昨日牧野副大臣と滋賀・京都の知事と会談したという記事があった。2〜3回読み返してみたがやっぱり政府の「再稼働の理由」がしっくりこない。「関西では電力需要が厳しい」「(再稼働しなければ)多くのものづくり産業に減産を強いる」
 確かに昨日「需要検査委員会」が出した試算では東日本:3.7%の余剰、東日本:3.6%不足という数字が示された。「3.6%の電力不足」を埋め合わせるために原発を再稼働させる、このロジックに納得出来る人はいるだろうか?この試算は「徹底した節電」が想定されていて不確実性が残るらしい。しかし、我々は「3.6%の電力を我慢する」ぐらいの忍耐力は持ち合わせているのではないか?我々は覚悟出来ているはずだ。また「ものづくりの減産」、確かにこれはある。しかし、プライオリティはそこではないはずです。
原発を稼働させる事は常に「デインジャー」(by 内田樹)を背負うという事である。「リスク」と「デインジャー」のプライオリティ。内田樹のたとえをそのまま使うと、例えばW杯決勝でロスタイム1分で1点ビハインドの状況、これが「リスク」指揮官の的確な指示や選手のポテンシャルで何とかなる一方「デインジャー」はサッカーの試合中にゴジラが襲来してくるようなものだ。そこには采配も選手のポテンシャルも関係ない。生き延びたかったらそんなゲームの勝敗なんてどうでもいい。とにかく生き延びる事、それがすべてです。
 長い引用になってしまったが、つまり「ものづくりの減産」というものが「サッカーの試合での1〜2点ビハインド」だとしたら、この場合「原発再稼働」は「ゴジラを蘇らせましょう!そしたらこのゲームなんとかなるかもしれない」というものだ。だがゴジラは暴走する「デインジャー」を常に秘めている。
 とどのつまり、「電力不足」や「ものづくり減産」という理由では「原発再稼働」の正当化にはならない。それは明らかです。そうゆう事は全ての政治家も頭の中ではわかっているはずだ。いや、わかっていてくれなければ困る。それにも関わらず今日の新聞においてでさえ「安全基準満たしているんだよ」「電力不足」「経済減退」を謳って再稼働を要請につとめているんだ、という事がわかってなんというか、「大丈夫なのか?」と思ってしまった。
 今月26日から消費税増税を含む社会保障と税の一体改革を審議する特別委員会が設置される。

「消費税、払います払います。増税しても構いません。痛みにはなれっこです。ですから原発再稼働は勘弁してくれませんか?」

僕が思うに「原発再稼働」を望んでいる国民は誰もいないと思う。誰一人も、一時的な再稼働であっても。それなのに政府は再稼働を推進する。それを止めるには我々が「そんな経済とか電気の問題とかどうでもいいです。それよりも原発を使わない。これ以上は望みません。増税でも節電でも受け入れますので」と懇願するしかないのではないか?全員で。政治家が全て上から何もかも決めるんじゃなくて、国民の「声」をもっと反映させたmutualな政治にしてくれないかな、と思う。東浩紀『一般意思2.0』(まだ読中)のような、「クラウド・デモクラティーク」このような政治体制が近い将来実現する事にベクトルを向けなければならない。

と、政治にはてんで疎い僕が相当背伸びして書いたがなんか、、ね。。。
まだまだ勉強が必要なようです。