凸森の思弁的卵かけごはん

アニメ/マンガ/本/音楽/映画/グルメetc...エンタメ関連を中心に、日々の徒然を綴るブログです。

11月19日

 今日は冬らしくなく暖かかった。外に出よう、憂鬱そうな顔をしている人を探しに、高揚感を隠しきれずにいた。その角を左だ、そして二つ目の交差点を左、次の公園を通って(「エビシュウマイチーズコロッケのチーズフォンデュ!」と哀悼に暮れているスウェーデン風のおじいさんに満面の笑みで叫ぶと、何だか死にたくなった)、公園の東口を出て右、もうすぐだ・・もうすぐだ・・・もうすぐで僕の行きつけの店員がアラブ人だらけの中華料理店が見える。午後二時、お昼を食べていなかったから空腹感で泣けてくる。店員のアラブ人はアラビア語と広東語のバイリンガルが99%を占めていて、1%は日本語とタガログ語のバイリンガル、正直に言うと僕は彼女に会う為にこの中華料理店に通っている。「元気?」僕はいつも緊張する。「あなたがどんな性癖の持ち主であろうが私には関係ないだけど、お願いだからクロックスを履いて店には来ないで、父の仇なの」もちろん僕はその事実を知っていた、知らないのは理由だけ。「分かったよ、今度からはちゃんと靴を履くよ」と言ってクロックスを燃やした、これでもう19足目。この燃えるクロックスを見る彼女の眼はカタルシスとエクスタシーでビリジアン色に輝いていた、彼女のカラーコンタクト、「ご注文は?」僕は叫ぶ、「エビシュウマイチーズコロッケのチーズフォンデュ風味のチャーハン!」
 悠久の暗欝なる孤独の牢獄、僕はそれを知悉していると言ってもいい。円と円とハンバーグを繋ぎ合わせて紡ぎ出される全てのマトリョーシカ的同心円状の図形は僕のこれまでの罪とこれからの孤独の折れ線グラフ、今度期末テストで出てくるから覚えておいてもいい。「あっ、ちょうちょ」僕の顔のない義理の姉の高所恐怖症の友達は蝶のように飛ぶことを願っていた。僕はその姿を見て泣いた、その真摯さ、純粋さ、高潔さ、そして今自分の銀行口座に5セントしかない虚しさ、ビール瓶のキャップのように真空で密閉していたのだが、水道の蛇口をひねったかの様にとめどなく流れた。カナダのビールのキャップは手で開けられるという事に気付いたのは、僕の姉の葬式の時、僕は全てが遅すぎる。僕は、綺麗な朝顔の代わりにバドワイザーのビールキャップを、姉の綺麗な顔のない眠った顔に、そっと乗せた。それはちょうど鼻に当たる部分だった。