凸森の思弁的卵かけごはん

アニメ/マンガ/本/音楽/映画/グルメetc...エンタメ関連を中心に、日々の徒然を綴るブログです。

どうして「料理」は楽しいのか?

最近IHクッキングヒーターを買いました。以前使っていたIHが壊れていたのだが、お金がなく2ヶ月ほどIHなしで過ごす。料理出来なかったから、外食か、もしくは冷凍食品で食事を済ませていた。IH復活したので料理再開。今日はレッドカレーを作りました。

「料理をする」ということ。何を作るかを考え、食材をスーパーで買い、食材を並べまな板の上で包丁を使い切り、フライパンを温めて油で炒める。僕の今日の夕食はレッドカレーであったので外国食品スーパーで買った、「タイ風レッドカレーのもと(既にスープになっている)」を注ぐだけ。簡単に出来る。

IHが無かったため、僕は2ヶ月間「料理」をしていなかった。だから最近(ここ3〜4日前位から)「料理」を再開した。その状況があったおかげで、1つ気づいた事があった。それは「料理をしている自分」と「料理をしていなかった自分」の間に歴然とした差があるということを、人間的に。

僕らは「食事」に到達するまでに様々なフェイズを経なければならない。食材のカット、フライパンで炒める。その時自分は明らかに何かに対して '向き合って' いる。フェイス・トゥー・フェイスで。そこに、何だかわからないけど、一種の食べられる「モノとのコミュニケーション」がある様に感じるんです。

それに対して「外食」とか「冷凍食品」はそれが全くない。「外食」だったら座って待ってれば食べ物が勝手に来る。「冷凍食品」だったらレンジでチンで勝手に出来上がる。「食事に至るまでのフェイズ」の省略するということ。それは「時間効率的」に必要なのかもしれないが、僕はその「省略」に「欠如」を感じざるを得ない。

“「モノとのコミュニケーション」ってなんだよ?” と思う人もいるかもしれないけど、僕らにはそれが必要不可欠な交流なんだと思う。簡単なものでも何でもいい、単なる素材に過ぎなかった野菜を自分の手でカットして、炒めて味付けして「出来上がったモノ」を見ると嬉しい。

「日曜大工」というのも多分「お父さんの気まぐれ」という事だけではなく、「お父さんの'モノとのコミュニケーションの欲望'」の表れなんじゃないかな、と考える。只の木材の残骸を加工し釘打ちして、机とか椅子などの家具、などの完成品を作る。「素材→自分→完成品」というフェイズを経る事の喜び。

だから「製造業」ってすごく働きがいを感じるお仕事の一つなんじゃないかな?
例えば、NHKの朝ドラマで『梅ちゃん先生』を見てる時にそんなシーンがあった。梅子の幼なじみにノブというライター製作工場が実家の青年が登場する。彼は「家業を継ぐ事」の嫌悪して家出して梅子の兄が経営する貿易会社のお手伝いをするが、ノブの心には何か引っかかることがあった。ある日、梅子の兄に故障したタイプライターの修理を頼まれるノブは小さな頃から父の仕事を手伝っていたため機械の取り扱いはお手の物。複雑なタイプライターも簡単に分解して故障の原因を見つけ修繕した。そのシーンで重要なのは修理にのめり込むのノブの顔が見る見るうちに嬉しそうになっていくことだ。

「自分の手を動かして何かを作る」、マニュファクチャという事が「仕事」というだけではなく人を夢中にさせる「仕事以上の喜び」を生み出す何かである、という事が分るシーンだと僕は考えている。そしてその「喜び」は「モノとのコミュニーション」に起因する、と感じるのだ。料理を作る事が楽しい様に。

僕は就職活動で広告代理店や商社などを受けました。「何(の仕事)するんだろう?」確かに広告代理店だったら「広告・イメージ・ブーム」を作る、商社だったら「取引・モノの移動経路」などかな(?)マニュファクチャから遠く離れて。今の大抵の仕事に言える事じゃないのかなって思ってしまう。テクスチャのあるモノに触れるお仕事ではなく、バーチャルなお仕事の増加。

「マニュファクチャから遠くは慣れてしまっている」と仮定すると(全てがそうではないし、僕は間違っているかもしれない)僕たちにとって、「手で何かを作り出す欲望」というのは行き場を失い、手の先から解放される事無く我々の身体内を彷徨っている。それは仕事で解放されるべきだが、それが難しい現代。

そのことが「'クリエイター' を名乗る人々をよく目にする」根本的な原因なのかもしれない。「俺はこんなん生み出せるんだぜ!」と豪語する人たち。みんななんとかして手を動かして何か作りたいんじゃないかな?僕もそういう「クリエイター願望」が無い訳ではない。アニメ制作会社受ける理由の一つ。「自分の手でアニメを作り出す」、まぁアニメーターじゃなくて違う形でアニメ制作に関わる職種を目指してるんだけど(絵が下手だから泣)、でも「作り出したい!」という願望はある。

とにかく、現代社会の中で、マニュファクチャから断絶された僕たち。その結果無理にでも「クリエイター」を自称する人々の増加。。。

まず「料理」から初めてみたらいかがでしょうか?というお話でした。冗長失敬。