凸森の思弁的卵かけごはん

アニメ/マンガ/本/音楽/映画/グルメetc...エンタメ関連を中心に、日々の徒然を綴るブログです。

いつも行くドトールにレタスドックがなかった

天気は快晴。私は神様を信ずるが天気予報のお姉さんを猜疑するが故に傘を持っていた。中野から総武線で秋葉原駅へ。私にとって大事な日だった。秋葉原駅の電気街口の柱は正四角形の体を成していてその柱の四面すべてに縦1m40cm×横60cmほどの液晶パネルがついている。液晶に映し出されるのはアニメの宣伝広告。その液晶パネルに“液晶感”は存在しない。アラがないのだ。まるで紙のポスターに電気コードがついていてコンセントに指すと淡い発光を醸し出すような感じだ。つまりこの技術の骨頂はデジタルとアナログは最早に対立するのではなくデジタルがアナログを模倣できることにある。そんなことを私は秋葉原の電気街口の改札を出てから外の太陽を見る過程の中で考えながら歩いていた。ラジオ会館の隣に新しいパチンコ屋が出来ていて壁にはシネコンのスクリーン6枚分の巨大なAKB48の看板が私を迎えてくれた。中央通りの信号を渡る。裏路地に向かう。普段の秋葉原なら自分の半径10m以内に約100人の浮遊する多種多様の自慰に巻き込まれるのだが9時前の秋葉原の裏路地は非常に静かだ、自慰後の静寂のように。アキバカルチャーZONEが見えたら左だ。そこから少し歩くとドトールが見える。そうだ、私はドトールに行こうとしていたのだ。「いらっしゃいませー本日発売のBモーニングはいかがですが?」「…じゃあそれで」僕はレタスドックを食べるつもりだったのだが。“本日発売”という言葉と“タイムセール”という言葉にはもっぽう弱い。私は「Bセット/ホットサンド 半熟タマゴとほうれん草 〜とろ〜りナチュラルチーズ〜」を注文した(http://www.doutor.co.jp/news/newsrelease/detail/20121219165806.html)。セットドリンクはアイスコーヒーにした。食す前に上厠。ウォシュレットが付いていたことはありがたいが今は必要ない。トイレから戻って「ホットサンド 半熟タマゴとほうれん草 〜とろ〜りナチュラルチーズ」を食べた。半熟卵・ほうれん草・ナチュラルチーズのとろーり感には文句の付けどころがなかった。しかし私は思う「何かが足りない」と。少し考えて私は悟った。塩だ。このホットサンドには決定的に塩っけが足りない。確かに私は昨日友人と酒を飲んだ。留学先で出会った友人で彼は東京の大学に通っている。その彼と韓国料理店でビールとチャミスル(韓国焼酎)とマッコリを飲んだ。従って朝の私は普通の人の1.5倍ほど塩を欲していたことは間違いないかもしれない。しかし私にも言い分はある。まず第一、ほうれん草はベーコンと共にあるべきであるということ。もう一つ、このドトールが秋葉原にあるいうこと。第一の言い分に対して異論を唱える者はまずいないだろうから第二の言い分について少し補足する。朝の秋葉原にドトールに女性が来ることはまずないと考えていい。自由が丘や代官山であればまだしも朝の秋葉原のドトールに来るのは大体サラリーマンかそれか僕みたいな暇を持て余した男子学生だ。彼らに共通していえることは飲んべえであるということ。とりわけ本日は木曜日。残業無しデーであるミドルウィークの水曜日に少しハメを外して酒を煽ることこれ必至。畢竟するに木曜日の朝に彼らは塩っぽい食事が必要となる。従って私の二つのイチャモンは整合性を得うるのである。しかし私もイチャモンばかり付けていてはこのブログを弾圧されかねない。良き点、至上のとろーり感はヤミツキになること必至。どんなに頭の堅い上司と相席していようがこのホットサンドを食べればたちまちに空気はとろけ会話は弾むだろう。あなたは周りの風景がとろけていくのを感じる。あまりにとろけた食べ物を食したので気持ちがとろけているのだろうとあなたは思うだろう。コーヒーカップが床に落ちる。手に持っていたコーヒーカップの取手がとろけている。観賞用のユッカの木はとろけて床に倒れ地面は泥炭のようにとろけていく。なるほど、とろけているのは俺の知覚ではなく世界だとあなたは気づくだろう。新聞はかろうじてとろけていないので読んだ。ケーズデンキの社長さんのインタビューから抜粋。「最近のヒット商品として、仏メーカーがつくった‘ティファール’の電気ケトルを挙げる。短時間でお湯が沸くのが、指示されている。“日本メーカーが保温機能を競う間に、すぐお湯が沸かなければ保温はいらないという単純なところで抜かれた」私がカナダに留学している時魔法瓶(電気湯沸かし器)を見たことがない。6年前に私が大学の友人宅にはじめて訪れた時ティファールがあるのを見て珍しく思ったことを覚えている。それが現在ティファールの模造品が市場に溢れ魔法瓶はまるで魔法でもかけられたかのようにその姿を消しつつある。今年の正月私は石川県の実家に帰省した。1月2日に富山県からいとこたちが集い夕食にすしの出前で取ってみんなで食べた。みな中トロには目も暮れず一目散に寒ブリに箸を伸ばした。冬の石川県では中トロより寒ブリの方が口の中でとろけるのだ。久々の親族の団らん。考え方も生き方もおのおの違えど皆の顔は暖房も効いてるせいかゆるんでいて幸せそうであった。食後にコーヒーを飲むことにした。実家のコーヒーはインスタントドリップコーヒーでワンカップごとにフィルターを付けてお湯を注ぐ方式である。実家のお湯は魔法瓶頼み。一つ一つのカップにチビチビとお湯を注ぐ。それが8人分あるものだから相当骨が折れる。母がコップを私に渡し私が魔法瓶のお湯をカップに注ぎある程度は注いだら母に渡しまた別のコップを母が私に...という作業を繰り返していた。魔法瓶のおかげで正月から七面倒なことになってしまった。しかしそんなにわるいものでもなかったと私はとろけた脳みそは述懐していた。つまり今日の午前11時からバイトの面接がある。それだけの話だった。