凸森の思弁的卵かけごはん

アニメ/マンガ/本/音楽/映画/グルメetc...エンタメ関連を中心に、日々の徒然を綴るブログです。

無題

今、何かが忘れ去られようとしている。何が忘れ去られている?
僕は“何”を言葉に変換するだけの語彙を持たない ”何“は名を持たない “何”は神的物象との関係性の間で“146m分のフランスパン“と同じ概念で表される時間を過ごしたために物質という区分から3つ上の高次へと向かいつつある僕たちの現実との関係性を置き去りにして 詰まるところ「忘れ去られる」ということは「置き去りにされたことによる結果」である
あるいは「必然」

「何かを忘れ去った」と感受する主体と「忘れ去られた」と感受する客体は一見ひとつのセンテンスを共有しているように見えて隔絶し絶縁している 僕は一瞬の花火を見る 一度切られたコンセントのコードは大量の行き場のない電気の難民を放出する 僕の部屋の電子レンジは二度と水的物象を温めることが出来ない
今日はすごく天気がよかったから、僕は今日散歩をした。
散歩の途中、青梅街道沿いの歩道を歩いていると、大通りに存在するにはふさわしくないT字路を発見した、
東京メトロ東高円寺駅辺り
で。そのT字路には「忘れ去られたもの」で溢れていた。
名前の知らない

本のない本棚
サドルの代わりにブロッ
コリーが差されているロードバイク
顔は知っているけど
名前が出てこない昔の友達、芸能人、歴史上の人物、シャンソン歌手、シャンソン歌手、シャンソン歌手
T字路の向こうに漆黒の電波ビルが見える。
漆黒の電波ビルの音のない脈動が感じられる。忘れられたシャンソン歌手の歌声には哀愁が感じられる。青梅街道を走る車一台一台から運転手の潜在的睡魔が感じられる。学校帰りのJKからは思春期特有の殺人嗜好欲が感じられる。電柱からはまごころが感じられるアスファルトからはマントルの熱が感じられる子どもからは無邪気さが感じられるその子どもの母親からは自殺願望が感じられるその子どもの父親からは子どもへの殺人願望が感じられるその子どもの“本当の“母親からはいびつな愛情が感じられる
そして愛が
感じられる
T字路には愛が溢れていることを
僕は
知った
ということが
感じられる
ということを
向かいの公園で日向ぼっこ中の
盲目白髪しわしわじじぃは敏感に感じとった
T字路の突き当たりの壁の向こうに、何がある?
視覚的には2世帯住宅×3であるが、
僕にははっきりわかる
それは
妹に対する
情熱的で
背徳的で
耽美的で
蓋然的で
構造主義的で
....この世にあるすべての形容詞を一身に背負った

の集合体
の欠片
に咲いた一輪のかいわれそう
その愛の膨張爆発による爆風によって
妹の顔はなくなった
この世のすべての兄は
「妹の名前はわからなくても顔でわかる」
という慢心によって
生きながらにして彷徨える匿名的無色になってしまった
僕はこれ以上T字路と平行線を描くことは出来なかった
僕は右90℃を向いて
青梅街道を新宿へ向かう方向へと舵を切った
再開された散歩の途中にうずくまって泣いている僕の生まれなかった弟が中野坂上ら辺にいたから
僕は彼の耳元でこうささやいた
「すべての潜在的おにぃちゃんは脱糞という過程を経由しなければ妹への愛を語る資格は愚か生きる資格さえ無い」