凸森の思弁的卵かけごはん

アニメ/マンガ/本/音楽/映画/グルメetc...エンタメ関連を中心に、日々の徒然を綴るブログです。

公募

 先日、アニメ脚本公募の応募作がようやく書き終わった。2人の少女の話が20才手前の19才であることについてのお話。

"学校にも所属せず、戦士でもなく、異能もなく、特殊なフォーマット(今でいうと艦隊か)でもない少女が19才になるというのはどういうことなのだろうか?"

そんなことを書きたかったのだが徹底的とはいえない代物になってしまった。それに第一、こんな話をアニメ化したいと思う、また観たいと思う物好きがいるのだろうか?甚だ懐疑である。でもまぁ、いかなる形であれとにかく最後まで書いて郵送にまで至ったことは、自分で言うのもなんだが、悪いことじゃない。作家になるということ、それはあの自分の作品を書きあがった後"応募原稿在中"と朱色で書かれた封筒を郵便局に持っていく恥を何回通ってきたかに尽きるのかもしれない。これは恥ずかしい。自分が想像した愚にもつかない物語を馬鹿の一つ覚えのように1万字以上の文字で書いてしまった紙の入った封筒をアホ面をして郵便局の職員に渡すのだ。

「普通でいいですか?」
「あ、消印は今日で大丈夫ですよね?」
「えぇ、大丈夫ですよ」
 
 郵便局員は笑顔で答えてくれた。
 
 消印が今日であったら、大丈夫な公募だった。
 こんなこと確認しなくても窓口の奥で今日消印の判子を押しているのだから、大丈夫に決まっている。
 しかし、確認してしまうのだ。
 疑わしいのだ。
 その笑顔を裏を、考えずにはいられない。
 こいつら本当に、俺の書いた作品を届けてくれるのだろうか?

"あの判子、今日の日付だと見せかけて実は俺の物だけ明日の日付の判子を押しているんじゃないか?何のために?もちろん俺をあざ笑うためだ。あいつら、俺の郵便を宛先に送るつもりはさらさらないのだ。あいつらは国営から民営になったがために溜まった日々の鬱憤晴らしのために、俺の郵便封筒をそのまま裏の休憩室に持っていき、アフター7前の18時、自分の業務が終わった後に赤ワインとカッテージチーズを嗜みながら俺の脚本を読んで酒の肴にしてあざ笑っているのだ。「プッハー!自由を求めてるとかwwwちょーウケるwww」そう休憩室で言っている!間違いない!あの役人もどきめが!"
 
 そんな何の云われも根拠もない疑心暗儀を生み出させてしまうほど、自分の書いた作品を郵便局で郵送するという行為は、非日常的で、非常に精神的に不安定なものなのだ。
 当たり前の話だが、作品を郵便すればそれは出版社に届くし、作品を郵便しなければそれは出版社に届かない。インターネットのおかげで、その垣根はずいぶん低くはなっているが、公募が存在する以上、今も昔もこの昔ながら過程はなくなってはいない。
 
 高橋源一郎が29才の大晦日に焼酎を飲みながらラジオを聞いていると、中島みゆきが、

「私、もう30になるんです」

と言ったのを聞いた時、小説を書こうと決意したそうだ。
 そして600枚の小説(約24万字)を書いた。それを郵便局に行って郵送した後、あまりの恥ずかしさに倒れたと言っていた。 そして、一次選考で落ちた。
 この高橋源一郎の恥ずかしさを、僕はよく理解できる。
 なんだか、すごく場違いなことをしているような感覚。
 書いている時、その物語は自分ひとりだけのための物だったのに、いきなり国立劇場のステージに晒されてしまっているぐらいの、場違いさ。

「なんでこんなことしてるんだ?」

 本当にわけが分からない。
 僕がこのとき対峙していたものは、この不条理さだった。
 どうやら小説にしろ脚本にしろ、書かれるということはカフカやベケット以前から、いや、生まれたときから根本的に不条理なのかもしれない。