春のゆくえ、愛のおわり
ある夜分のことだった。まだ20代だった時分、私は自転車で帰途についていた。午前三時頃、小さな商店街の道は街灯とコンビニの光のみが辺りを寂しく照らしていた。誰も人はいない。商店街を少し進んで、右に曲がって少し進むと私が間借りしている部屋がある。冬の日に自転車で風を切って走るのは、寒い。私は家路を急いでいた。早くシャワーを浴びて、酒を飲んで、眠りにつきたかった。暖と安楽を取ることばかりに意識がいっていたため、家の前の街灯下で白いタンクトップと短パン姿で佇んでいた丸刈り男について、「はーるよこい♪はーやくこい♫」と歌っていた男について、何の一考もせずに通り過ぎて私は自分の部屋に入ってしまった。
またある日、帰りが遅くなった帰り道、私は自転車で帰途についていた。この日はいつもに比べて暖かかった。従って私には夜空の星の数を数えたり、今夜の月は十五夜かしらと考えたり、今夜の夜食を考えたり、など寒さによる思考停止に陥ることはなかった。そのため、この日の私は家の前の街灯下で短パンタンクトップ姿で「はーるよこい♪はーやくこい♫」と歌っている丸刈り男について、看過できなかった。
声をかけてみようかと思った。
無難に「そんな格好じゃ風邪引きますよ」がいいか?
それとも「まだ十二月なので、春はまだ先ですよ」がいいか?
それとも「あなたはキチガイですか?」がいいか?
「今夜はいつもより暖かいですね」
私は彼にそう言った。彼は私に一瞥も与えることもなく、そして歌うことを止めなかった。
「はーるよこい♪はーやくこい♫」
男の歌う声に耳を傾けた。その声にはどことなく統合失調症の人間だけが出しえる澄んだ響きを感じた。ピュアネス。"響きと怒り"
「はーるよこい♪はーやくこい♫」
自分が歌うことでこの世界が変わる、そう核心的に、盲信している目。冬の日の朝のように、澄んだ狂気。彼は私の知らない世界の住人だった。いや、私には立ち入れない世界、といった方が正しいか?私はお気に入りのストリートミュージシャンの周りにたむろってる聴衆のように、座って彼の歌を聴いていた。一時間ほど聴いて、さすがに明日の支度もあるので私は彼の足下に500円玉を置いて自分の部屋へと帰っていった。
春が来た。
午前二時、私は星一つない夜空を見上げながら、牧野信一の短編小説「爪」の朗読をPodcastで聴きながら自転車を漕いでいた。
「はーるいこい♪はーやくこい♫」
彼はまだ歌っていた。冬と同じ白いタンクトップと短パン姿で、歌っていた。
「もう、春は来てますよ」
私は彼にそう言った。
彼は私に初めて一瞥をくれた。
その目を見て、私は戦慄した。
そこには軽蔑も、侮蔑も、共感も、虚無も、悲哀も、死も、何もなかった。
ただ愛があった。
世界を花のごとく愛している。
この男は歌っている。
この男は一体どれだけの人々のことを思いながら歌うのだろう?
こんな杉並区の片隅で、
真夜中に、
世界のすべての人々の春を願いながら、歌っているのだ。
五年後、また春が来た。
私は自転車に乗っていなかった。
仕事も失い、恋人を失い、友達も失い、家財もパソコンもiPhoneも本もアニメのBDも売った。
種田山頭火の句集だけ、手元に残った。
部屋が明るくなって暗くなるのを窓から確認することだけが、私に時間を感じさせた。
そのような生活に慣れ過ぎたため、私は耳の使い方を忘れてしまった。
ある日、私はなんとなく耳たぶに触れた。
耳たぶはひやりとした。
その冷たさは、私に何かを思い出させた。
"耳を、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、すます?"
耳を澄ませてみようと思った。
部屋の端っこ、外の端っこ、世界の端っこ、すべての端っこで起こる悲しみに耳をすませて見ようと思った。
「・・・kい h-・・yやkこい」
それはノイズのように聞こえた。
私はなおも耳をすませて聞いた。
「はーるよこい♪はーやくこい♫」
そう気付いた時、私は駆け出した。
家の外の、街灯の小さな光の元へ。
十年後の春、
私は新聞配達屋が隣にある実家の金沢に戻って新聞配達員をしていた。
午前二時半、私は目を覚まして配達の準備をする。
午前三時半、私はカブで地元の朝を走る。
私はかつて夜間徘徊して支離滅裂な言葉を叫ぶ狂人だったそうだが、朝の空気が私を正気に戻した。
朝の空気を胸いっぱいに吸い込む。
その空気には真夜中の余韻が混じっていて、それはかつての私のような気もするのだが、今はもう思い出せない。
"はーるのゆくえにあいおーわーりー♫"