凸森の思弁的卵かけごはん

アニメ/マンガ/本/音楽/映画/グルメetc...エンタメ関連を中心に、日々の徒然を綴るブログです。

第七回三文賞

石川史夫氏主催のWeb詩公募「三文賞」の"i氏賞"(?)に入選しました。

3mon.oops.jp

最近「死にたい」とよく独り言を言うことが多いのですが、「どうして僕は"死にたい"と呟くのだろう?」ということについて書いてみました。
「死にたい」
それはひとりひとり違います。
サラリーマンの「死にたい」、
OLの「死にたい」、
主婦の「死にたい」、
子どもの「死にたい」、
女子大生の「死にたい」、
おじいちゃんの「死にたい」、
おばぁちゃんの「死にたい」、
アメリカ人の「死にたい」、
ドバイ人の「死にたい」、
イケメンの「死にたい」、
リストカットメンヘラ女の「死にたい」、
みんなみんな、同じではありません。
だから、僕は僕で僕の「死にたい」どうにかして表明したいなと思った時、それが詩という形をして出てきたのが、ちょうど三文賞の時期と同時期だったので今回も出させて頂きました。
でもそれは嘘です。
僕は死にたくありません。
まだ何も成していません。
自分の子どもの顔を知りません。
心の底から後悔していることを、僕はまだ解決していません。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたい死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたい死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたい死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたい死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたい死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたい死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたい死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたい死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたい。


そんな感じの詩です。
もしよろしければ、ご覧なって下さい。
パソコンからの見るといいです。
スマホからだと、ちゃんと「死にたい」が形になっていないので。

ありがとうございます。