凸森の思弁的卵かけごはん

アニメ/マンガ/本/音楽/映画/グルメetc...エンタメ関連を中心に、日々の徒然を綴るブログです。

孤独の風景

 先日、目が覚めると天気がよかったので外に出ようと思った。喉が乾いていた。昨日は休みの前日であったためいつもより強い酒を飲んで寝たからだろう。簡単に顔と歯を磨いて、ズボンと簡単な長袖の白いワイシャツを着て、靴べらなしで履けるスニーカーを履いて、外に出た。目的地がなかった。とりあえずカフェに行こうと決めた。小銭入れと、文庫本と、iPhoneを持って、外に出た。iPhoneにイヤフォンを付けて、小説の朗読を聴きながら歩いた。
「今日は何曜日だろう?」
 最近曜日感覚に疎い。今の仕事をしていると、必然的にそうなる。地下鉄の駅に向かって歩いた。僕の賃貸住居は地下鉄の駅がある大通りから外れて八分ほど歩いたところにある。駅までの裏道はいつものように閑静で、いつものように人通りも少ない。駅前にある公園について、多くの人々が秋の日光の中で遊んだり談笑したり本を読んでいるのを見て、僕はようやく今日が日曜日であることに気付いた。
「もしかしたら土曜かもしれなかったが、この感じは日曜日だ」
 なぜかはわからないが、今日が日曜日であるということには変な自信があった。どことなく公園の人々が休息が深すぎるように見えたからであろう。そこには「明日も休みである」という土曜日的な余裕がなかった。
 公園に入ると、ひやりとした寒さを感じた。失敗した。もう一枚、何か羽織ってくるべきだった。その公園には銀杏の匂いもないし、キンモクセイの香りもないし、紅葉のもみじもない。ただ桜の木の枯れ葉が辺りに落ちているのと、ひやりとした寒さだけが、僕に秋になったのだと思わせた。
 公園には人口な小川が流れていて、子どもたちが水には浸かっていないものの付近ではしゃいでいた。
「こんなに寒いのに、水辺で遊ぶなんて、、、のんきな者だな」
 横目で子どもたちを見て、そんなことを思いながら歩いていた。 
「あんまり水辺に近づき過ぎないでね〜」
 子どもたちから二メートルほど離れていた母親がそう言った。その母親のまた二メートル先に、子どもに目を向けている人がいた。男か女かは、一目では判別できなかったが、多分男だろう。目線の先には子どもたちがいたので、子どもたちの親類かと思った。だが、その割には身体の向いている角度が少し妙に思った。
「そろそろ行くわよ」
 母親がそう言うと、五人の子どもたちがみんなその母親に連れ立って水辺を去っていった。
 その人を通り過ぎてた後、ふと、後ろを振り返った。

 あぁ、これは孤独の風景だ。そしてこの僕も、その風景の一部なのだ。
「同時に、あぁ、子規は死んでしまった。ヘチマのごとく、干涸びて死んでしまった」
 iPhoneのイヤフォンから漱石の嘆きが聞こえてきた。
 僕の孤独、彼の孤独、漱石の孤独。
 孤独をいくら寄せ集めて結びつけたとしても、結局は、孤独だ。このことを痛切に思い知った、ある秋の一日だった。