凸森の思弁的卵かけごはん

アニメ/マンガ/本/音楽/映画/グルメetc...エンタメ関連を中心に、日々の徒然を綴るブログです。

『劇場版 SHIROBAKO』を見ました(※ネタバレ有)

凸森です。

久しぶりのエントリーとなります。

 

今日、2020年2月29日、『劇場版 SHIROBAKO』を新宿のバルト9で観に行きました。

(バルト9、劇中でも登場したのは少し驚きました)

 

私はSHIROBAKOを見たことがきっかけで、2015年にアニメ製作の業界に足を踏み入れたという経緯のある人間です。SHIROBAKOという作品はそれほどまでに私に影響力を与えた作品です。

アニメ制作現場は決して楽しいことだけではなく、つらい部分もありましたが、それでも周りの方々に恵まれまして、SHIROBAKOのようにドラマティックではありませんが自分なりのアニメ制作進行として2年半働いたのち、転職して現在は某アニメ会社の版権部門で営業として働いております。

つまるところ、私はみゃーもりになる夢を抱いた青二才だったが(正確に言うとりーちゃんになりたかった)、夢破れて制作から身を退いた人間です。

あれから5年の月日が経ち、私も年をとっております。

 

「当時、SHIROBAKOを観たときに感じたものと同様の熱量を以って観られないのではないだろうか?」

 

以上のような感覚から、私は今日『劇場版 SHIROBAKO』を観ることを、楽しみでありつつも、少し怖さを感じておりました。

 

しかし、観終わった今ならはっきりと言えます。

 

「SHIROBAKOを信じてよかった。。」

 

心の底からそう思えます。それほどに、今回の「劇場版 SHIROBAKO」は輝きを失っていなかったし、それどころかますます輝きを増しております(キラキラハイライト!)。

 

一緒に観に行った友達と話したり、TwitterでSHIROBAKO好きの友達と話したりして、今回のSHIROBAKOのすばらしさを語っておりましたが、それだけでは飽きたらず、いてもたってもいられなくなり、久しぶりにはてなダイアリーにログインして「この気持ちを書き記さねばならない!」という使命感から、テンションに任せてキーボードを叩いている次第です。

 

ここから以降は、私が覚えてる限りの印象的なシーンの感想をただただ垂れ流すことに終始します。お許しください。ネタバレを多分に含みます。まだ観ていらっしゃらない方はスクロールをお控えすることをおススメいたします。

 

 

まず、冒頭なんですけど、恥ずかしいことにぬいぐるみの名前を忘れていた(笑)

ミムジーとロロ、ね。ぬいぐるみも持ってたんだけどな。。そこからテレビシリーズの1話と重ねるようなカーチェイスが始まると思いきや、武蔵野アニメーションの車はエンスト。観客はこの時点で「ん?」ってなる。勢いねぇなぁ、、って。

んで、車を運転していたのはみゃーもりじゃなくて佐藤さんて、みゃーもりは椅子を3つ並べて寝てた(=制作進行あるある)。

そのあと、アニメの1話をみんなで見るよーって流れになって、みゃーもりがムサニの2Fへ向かう。みんな集まって、丸山社長の作るカレー食って、みんな口をそろえて「宮森さんのおかげだよ」と言う、という、幻想。。悲しすぎるだろ。。。

たくさんいた幻影の人々はフェードアウトして、いたのは演出:円さん・色指定検査:新川さん・動検:堂本さん・佐藤さん、あと新人の進行くんのみ。。ここから察するに、もう元請けやってないのね。グロス請けを中心とした仕事をとっていて、それを回す上での最低限の人材だけが残っている。にしても、作画陣全員いなくなってるのカワイソス。。

観ているアニメは『第三飛行少女』のパロディギャグアニメ、しかもエロ路線(よくこのアニメを野亀先生許したよなぁ。。)。円さんがよしみで演出してたっぽい。

そのあと登場するみんなが、なんかうだつ上がっていない感じ。もうこの時点で全俺のライフゼロよ?

ゆくゆくわかっていくんだけど、どうやら「タイマス事変」という制作中のアニメ制作を中止せざるを得ない大事件が間にあって、それの責任をとるために丸山社長は辞任、当時のムサニの多くの人間が失望し、会社を去った。。

でも、よく思ったら、みゃーもりはこの事件後もムサニに残ったんだよなぁ。。その時の気持ちを想像するだけで泣けるよね、もはや。

しかし、やはりみゃーもりの闇は深く、新しく劇場版のオリジナルアニメを作らないか?と持ち掛けられ、やるかやらないかを悩んでいるときのみゃーもりのどんどんドーナツのキマり具合は史上最高で、たぶん10分くらいトリップしてたと思う(笑)

 

みゃーもりが決めた選択はやる!ムサニ再始動!!

 

みゃーもりは木下監督、舞茸さん、下柳さん、瀬川さん、小笠原さん、井口さん、渥美さん、えまたそなど、旧スタッフを集め着実に制作体制を整えていく。

しかし、メカニックデザイン・作監の遠藤さんだけは連絡がつかない。。

実は「タイマス事変」で一番キレていたのが遠藤さんで、この事変以降一切仕事をせず、収入面はすべて奥さんに頼りっきりだったようだ。確かにショックなのはわかるけど、さすがに2~3年ニートはさすがにニートすぎるのでは・・・とも思いつつも、この奥さんが神がかっていた。。

また、遠藤さんをムサニに戻すために瀬川さんや下柳さんが説得するのだが、この一連のやりとりがすごーくよかったんですよ。。(小並感)

 

舞茸さんの脚本家魂もよかった!ストーリ構成の整合性、面白さ、ケレン味等のこだわる姿勢が真摯ですばらしい。声優オーディションにボロボロの姿できたのは思わず笑いましたがw 舞茸さんが結末に困ってたところに、ずかちゃんの声がヒントになって舞茸さんの筆が再び動き始めるのがずかちゃんファンの冥利に尽きるというものです!

あと、舞茸さんとりーちゃんの師弟関係も非常に尊く、特にキャッチボールのところめちゃくちゃよかったです...!!

 

シナリオが固まると、コンテ。木下監督、地下牢監禁、そしてエリカ様復帰という完璧な流れ。猫の写真、から揚げ、モンブランで煽ってくスタイルすこw

 

みゃーもりたちの悩みに対して、突破口を掴むためのなにかしらのきっかけを皆一様に与えてくれていたのはうれしかったし、さすがSHIROBAKOと言ったところ(若干みーりゃんの悩みに対しては、少し弱かったような気がしないでもないが・・・終わりよければ全部よしスタイル)。

 

しかし!そんな中、2年間製作を放棄していたクソ会社が勝手にアニメを作られたとして権利主張および現状のアニメ制作の中止を言い渡されそうな危機に瀕する。呆然自失のみゃーもり。。しかし、みゃーもりは負けない!勧善懲悪ドラマのごとく、相手会社に乗り込み!行く手を阻む"原動仕"攻撃(くそ笑いましたw)

敵の攻撃をタップと入館証明書ではねのけ、相手社長に直談判!相手社長からは葛城さん側の会社とほぼ締結している、やけに見覚えのあるフォーマットの契約書(笑)まだ葛城さん側の捺印がない模様だから、100%効力を持っているわけではないんだけど、まぁもうドラフトの段階ではない。。しかし、別途送ったレター&会話の録音で法的証拠を突き付ける!やるな、みゃーもり・・

 

大きな困難をはねのけ、公開3週間前にオールカラーDB。ないないといわれたスケジュールの割には、非常に進捗状況はいいっ!

しかし、監督は浮かない表情。。現状の結末に納得いっていない模様。普通なら、ここは大人の妥協をするところだが、「えくそだす!」でV一週間前に作画から新規で作り直したムサニは妥協しない!結末をまるまる新規でコンテから作り上げるというムサニの維持を見せつける!!この結末の追加シーンを流してエンドロールを流すあたり、SHIROBAKOらしさの象徴ですね。。

 

以上、「劇場版 SHIROBAKO」レポっす。

チラ裏失敬。

 

これ以外にも語りたいことはたくさんあるんだけど、取り合えず満足したのでここまでにします。

たぶん、あと2~3回は劇場観に行くかなと。

 

とにかく、『劇場版 SHIROBAKO』最高だって話です!

観たことある人は必観、観たことない人もできればTVシリーズを視聴したうえでぜひ見てほしい...!! ハードル高いかもですが、こればっかりはやはりTVシリーズを観たと観ないじゃ視聴体験が全く異なると思います。。

 

では、またの機会に。

 

P.S.

みゃーもりたちの目標は『神仏混交七福陣』を作ることだけど、今回はそこまで話に絡んでこなかった。なので、これを作る話を続編として考えられると思うんだけど、、続編やってくれないかなぁ、、マジで(真顔)

Kyoto Animation's incident (京アニの件について)

I knew yesterday about the Kyoto Animation arson in the news, but I had taken the matter seriously as I thought.

Perhaps, until July 17, 2019, Kyo Ani was operating as usual, and would have been working on works in earnest, and the next day was taken up as such sad news. I felt a feeling like "The world line that we originally belong to was damaged and thrown to another line".

Of course, "events" are not only good things, but also bad things, "events" by the overlap and entanglement of things (maybe called "causes" or "coincidence") before the event becomes an event. I think it happens as a strike, but what I think in this case is that "Is it really necessary on our world line?"

Well, in this meaning, people call it "unreasonable". However, I feel that the level of unreasonableness this time is the best class. Of course I think that there are individual differences, but for those who used to anime in the 2000-2010s, I think that I will be indebted to Kyo-ani, and I will have a big influence on anime formation in my 20s. Because I've been given even more personally deep wounds.

Up until now, when I saw the news, such as terrorism, the earthquake, etc., to be honest, I thought "It's irrelevant to me" and I had no intention to donate.
But this time, I thought, "I have to do something about this."
It is because, of course I like animation, and I work in the animation industry, but for many reasons, it's more spontaneous emotions.

I do not know how to say something about this incident that exceed the amount of my own word,
I sincerely pray for the victims, survivors, and Kyoto animation.

========

京都アニメーションの放火の件、昨日ニュースで知ったのですが、思っていた以上に今回の件を深刻に受け止めている自分がいました。

多分、2019年7月17日まで、京アニはなんの変哲もなく営業していて、鋭意製作中の作品の作業とかしていただろうに、その次の日にはこのような悲しいニュースとして取り上げられている。なんというか、「自分たちが本来いた世界線が傷つけられて別の場所に放り投げられた」ような感覚を感じました。

もちろん、”出来事”というのは良いところだけではないし、良いことも悪いことも、出来事が出来事になる前のもの(多分”原因”・”偶然”と呼ばれるもの)の重なり合いと絡み合いによって”出来事”として生起するのだと思うけど、今回の件で思うのは「それ、本当に私たちの世界線で必要なことだった?」ということ。

なるほど、それを人は「理不尽」というのか。。しかし、今回の理不尽さのレベルは最高クラスだと感じる。もちろん個人差はあると思うけど、2000~2010年代にアニメを嗜んでいた人にとって、京アニにはかなりお世話になってると思うし、僕自身の20代における人格形成に京アニのアニメは大きな影響を与えてきたから尚更個人的に傷が深い(ように感じる)。

今まで、例えばテロとか、大震災とか、そういうニュースを見たとき、正直に言って「それ、自分とは無関係じゃない?」と思ってたし、寄付とかする気なんて全く無かった。
でも、今回は「これはなにかしなきゃいけない」と思った。
それは僕がアニメが好きだからとか、一応アニメ業界に勤めているからとか、いろんな理由はあるけど、それ以上に自分の心の奥から沸いてくる自然発生的な感情でした。

こういう自分の持っている器量の量を超えた出来事について、なんと言葉を発せばいいのかわからないのですが、
今回の被害者の方々、生き残られた方々、京都アニメーション、全てに心からお祈り申し上げます。

暗学のイメジ

海が凪ぐ
君のためではない
海は海の意思で凪ぐ
風が吹く
君のためではない
風は風の意思で吹く
風が吹く
吹きつける
吹きつける風は君の美しい瞳の角膜を容赦無く削ぎ落とす!
君はもう
幼い頃のように
美しい夕焼けの輪郭を見て涙することはない
それは風の意思ではない
しかし
君が視覚を失うこと
君が暗闇の中で生きること
君が世界の輪郭を視認出来なくなること
それらは君のためだ
今の君に必要なことだった
君は君の中にある水平線上に沈むイメジの夕焼けに涙するか!?
君は暗闇の中で愛する者の唇にベーゼ出来るか!?
暗い、暗い、熱性の王国で
君が暗闇に描く楕円形の幾何光学
新しいイメジの世界
新しいイメジの歴史
新しいイメジの絶望
ようこそ
君はイメジの獣
2027年のCivil Warは君だけのために存在する!

葡萄の外れを待ちわびて

人生という名のスランプグラフ、
それは空腹を忘れた平日午後2時。
僕はジパングの重たい扉の前に佇み、
空を見上げる。
雨も隕石も降りそうにない、
一点の曇りもない蒼空。
マイナ100k、
食べたくもない家系ラーメン、
▲10万、
あたたかい白米に秘めた優しさの裏側、
−5000枚、
胡瓜の漬け物を乳首のように箸で摘んでは落とす、
(明日から何を食べて生きればいい?)
海苔を丁寧に白米のキャンパスに広げて巻く、
咀嚼。
スロットまどか☆マギカFirst(20スロ)。
確率1/98304のフリーズを引いて、
心も身体も液晶画面もアルティメット。
万枚を出したら、
どんな小説も映画もアニメもつまらない。
君が今思うこと、
君が今感じること、
それ自体がこの宇宙至上最高の叛逆の物語になる。

















そんな平行世界を思い描きながら、
僕のジャグラーは右押し中段7停止。
慎重に、
息を潜めて、
おそるおそる、
残りふたつのボタンを押す。
「えぇ、そうね。次の春にはきっと……」
顔のない姉は過去の瞳の中で言った、
葡萄の外れを待ちわびて。

『君の名は。』、≪新海誠≫、【携帯電話】を巡る試論

 先週の日曜日新宿のバルト9で友人と『君の名は。』を見ました。友人は初見で、僕は2回目でした。僕は1回目の観賞ですでに本作品を絶賛しました。この作品からは新海誠が処女作の『ほしのこえ』からずっと新海誠が追い求めていた〈テーマ〉を感じましたし、今回の『君の名は。』はその〈テーマ〉の終着点に足りうる「説得力」を持っていたと思います。そして、新海作品初見の人々にもその「説得力」が伝わったからこそ、ここまでの多くの人に観られ、そして莫大な興行収入に達したのだと思います(このブログを書いた2016/12/13時点で200億円を超えている)。

 さて、では新海誠がずっと追い求めていた〈テーマ〉とは何か?

 いろいろ考えられると思います。
 〈すれ違う男女〉もあると思うし、
 〈携帯電話〉もあると思うし、
 〈風景〉もあると思うし、
 論じようと思えばネタは尽きないような気がします。なぜなら新海誠というアニメーション監督はそれくらい強度な作家性を有しているからです。もうゼロ世代系論客がもう『君の名は。』について何かうまいこと言った論文を何本も書いていると思われます。つまり・・・・・・「僕が『君の名は。』について何か書く意味なんてないなぁ〜」と高をくくってました(笑)

 しかし、今回の2回目の観賞の後に、僕の頭の中に何かが引っかかっていた。
 仕事中、車の中で(僕はアニメの制作進行なのでよく車を運転する習慣がある)、『君の名は。』のOP「夢灯籠」をiPhoneで聴いていた。iPhoneの音楽画面に映し出されるRADWINPSのアルバムジャケットとタイトル名。この映し出されているものはなんだんだろう?そんなことを考えていました。絵と文字。絵と文字。絵と文字。絵と文字。絵と文字。。。あっ。そうだ。
 そう思ったとき、僕は車をコンビニの駐車場に停め、自分の頭の中に引っかかっていたなにかが濁流の思考となって流れ込んてきたものを狂ったようにツイートしました。僕が『君の名は。』について、新海誠について、そして"現代"について語らねばならなかったこと、それは【携帯電話】だ、ということに気づいたのです。

どういうことでしょうか?

それは【携帯電話の嘘と本当】についてです。

これから以下は作品の内部にも触れていくため、ネタバレは避けられないところではあるのですが、できれば観ていない人たちにも僕の文章を読んでもらえたらなぁ〜、と思っているので、極力内容に触れる記述は濁して書いていきたいと思います。以下の文章は僕の昨日のツイートを加筆訂正したものです。では何卒、宜しくお願い致しますm(_ _)m



『君の名は。』の作中、瀧と三葉が入れ替わりに気付いたあと、彼彼女たちのコミュニケーションは「携帯電話のメモに字を書き残す」という方法でした(三葉の場合はブログに書いていた)。ここで問題になるのは、この行為には「大きな嘘」があるわけです。

どういうことでしょうか?

「大きな嘘」(見た人ならすぐわかると思うのですが、見ていない人もいるので濁していうと)それは〈二人が物語世界内でお互いがケータイ残した文字を見ることで"同時間"を共有している〉という思い込みです。詳しいことは言いませんが、要は相手が打った文字を見たことで、同じ時間のいるとすっかり思い込んでしまうのです。しかし「大きな嘘」は残酷な形で露呈される。瀧が崩壊した宮水を見た時、「そんなわけないだろ・・・・・・だって」携帯を見ると、携帯の文字は文字化けを起こし、三葉のブログエントリーは消えていきます・・・・・・三葉という存在がまるで嘘だったかのように。
 この「大きな嘘」を気づかせるきっかけは何だったのでしょう?それも携帯電話だったのです。つまりは「電話」だったのです。

どういうことでしょうか? 

『君の名は。』で象徴的な2カットがあります。それは瀧と三葉がそれぞれ歩道橋の上でお互いに電話を掛けるカットです。電話をかけても相手に繋がらない。この時、携帯電話の文字による「大きな嘘」は、携帯電話の電話("電波的な真実"とでも呼びましょうか?)が露呈の契機となり、物語が進むに比例して携帯の文字による「大きな嘘」を埋め合わせていくように二人は行動するわけです。
 
 ここまで言って、僕は何が言いたいのか?
 
 それは携帯電話の嘘、端的に言うと「携帯メールの文字の虚偽性」についてです。"メール"としているのは便宜上で、要は携帯電話のエクリチュール(書かれたもの)全般の話です。

 新海誠の処女作『ほしのこえ』という作品に「携帯メールの文字の虚偽性」がはっきりと表れています。この作品は、中学3年生の長峰ミカコと寺尾ノボルが互いにほのかな恋心を抱き、同じ高校への進学を望んでいたが、実はミカコは国連宇宙軍のタルシアン調査隊――リシテア艦隊に選抜されてしまう。そしてミカコはひとり宇宙に打ち上げられ、遠くの惑星へと行ってしまいます。何億光年ともいう距離を移動しているなかで、その状況をミカコとノボルは携帯メールでお互いに近況方向をし合います。ミカコは「今〜星にいます。心配ないよ、元気にやってます。そっちは?」みたいなことを男の子にメールする。男の子もそれに「僕も元気だよ」みたいなメールをする。
 この一連のやり取りの中に、携帯メールによる「大きな嘘」が隠蔽されています。それは彼彼女達の不安です。遠い宇宙にひとり放り出されて不安やさみしさで眠れなかったとしても、好意を持っている女の子が遠くに行ってしまったさみしさで眠れなかったとしても、「元気だよ」という携帯メールの文字は彼彼女達の不安を一切合切捨象してしまいます。
 また、新海誠の『秒速5センチメートル』の第1章(この作品は第1〜3章に分かれています)、大雪の中、少年が長年会っていなかった女の子に会いに行きます。しかし、電車は大雪のためストップしてしまう。彼は彼女に電話する。しかし彼女は電話に出ない(確かそのようなシークエンスがあったはず・・・うろ覚えで申し訳ない)。これは「電波的な真実」の一例。

 ここまで、僕は新海誠の作品を取り上げて「携帯メールの文字の虚偽性」と「電話の電波的真実」についてつらつら書いてきましたが、問題なのは《今、現実世界を生きる僕らのコミュニケーションの殆どは(少なくとも50〜60%くらい)"携帯メール的な文字"で成り立っている、という事実です(統計学的な実質調査はここでは必要にないくらい、皆様も肌でそう感じておられるでしょう)。
 例えば、夫が妻に「仕事で遅くなる。愛している」という文字をLINEで送る、そしてこれから浮気相手とラブホテルに入っていく。浪人で都会の予備校に通う子どもが「ちゃんと勉強してる」とパチンコ台の前でLINEを送る。文字的な意味と、その文字を送る主体の行動が大きく乖離してしまっている。

 一昔前の文字によるコミュニケーションは「手紙」でした。「拝啓〜様、私は元気にしています。〜」と異郷での生活や状況の不安を抱えながら文字を書く・・・・・・手紙的な虚偽。しかしその嘘は"郵便"という主体が文字を送ってから客体に届くまでの時間の遅れがあるため、この嘘は自己説得可能ですしまた説明可能です。

 しかし「携帯メール的な虚偽」はどう説明をつければいいでしょうか?送信と同時に相手に届く。自分が今何をして、本当は何を考えているのかとは全く関係なく・・・・・・まぁ開き直るしかないですよね、「そういうものだ」と。僕だって以前こうして真面目な論調風のツイート書きながら実は部屋でエロ動画鑑賞してマスかいてることだってありましたし(笑)

 話を総括すると、新海誠が捉えた"現代のテーマ"のひとつは、この「携帯メールの文字の虚偽性」というのは外せないと思うのです。それは2001年の『ほしのこえ』からずっと追い続けたテーマだと思う。
 したがって、今回『君の名は。』の中で滝と三葉が歩道橋の上という同じBG(背景)で、電話をかけるという兼用2カット。あの2カットは、新海誠が今回自分のテーマのひとつを解決に導くためのひとつの答えだったと思うのです。
 携帯メール的虚偽、「電話で声に出して相手に何かを伝えるのってめんどくさいし、メール(LINE)でいいや」現代コミュニケーションの惰性、電話をかけている主体同士が徹頭徹尾"受話器越し"で繋がっている。新海誠が提示したひとつのアンサーとして、僕には感じられた。




以上です。ありがとうございました。文字というもの、それは以前"手紙"しかり"出版"しかり、要は「遅延」を有していたが、現代の技術がその「遅延」を皆無にしてしまった。それは現代の素晴らしさであり、かつ現代の恐ろしさである。携帯電話でメールが普及した1990年代末から2000年代初頭、その時にすでに新海誠はこの変化について何らかの思うことがあって、『ほしのこえ』から『君の名は。』まで連綿して維持し続けてきたこの先見性と持続力に、僕は新海誠という現代作家に対して感嘆せずにはいられない。





しかし・・・・・・もし、電話(skypeでもいい)が「主体が受話器を持っていなくても、テクノロジーが主体者の伝えたい言葉を識別し遠隔で音声を放つことができる」ようになった時、現代は次なるフェイズに突入するでしょう。

門出 Departure

さぁ、新たな時代の幕開けだ
祝杯しよう!
右手には拳銃を
左手にはバーボンを
綺麗事を言う必要はもうない
酩酊状態で心に浮かんだことを
そのまま言葉にすればいい
ワンショット!
複数の自由を殺し
我々は一つの自由を得る
これから得られる物に
これから奪われる者に
乾杯

New age begins
Let's drink a toast!
Right hand with a gun
Left hand with a glass of bourbon
We no longer need to say something high-sounding
Just we say words
we hit upon in our heart when we are in inebriety
One shot!
We kill multiple freedoms
And obtain one liberty
For things we gonna obtain from now on
For those who gonna be deprived from now on
cheers

Ex-(Boys)

 ある日、時計の針は午前一時を過ぎた頃、原画回収で僕はとあるコンビニで"モンスター"片手にタバコを吸っていた。僕はいつも立川の奥地にあるコンビニで(そのコンビニは僕にとって"折り返し地点"のようなものだった)"モンスター"を買いタバコを吸うのだが、この日はなぜかいつものコンビニ立ち寄らず、少し進んで立川と国立の境界線上にあるコンビニで"モンスター"を買い、タバコを吸った。こういう場合、つまりいつもの週間とは少し外れた行動をしたとき、

《何か特別なことが起こるに違いない》

と、胸を馳せた経験が、君にはあるか?この時の僕の心境が、大体それだ。夜空を見上げた。月がやけにくっきりとみえて、まるでPhotoshopで高解像度に加工されたみたいだった。

キーッ!!!!

鋭い車のドリフト音が真夜中の澄んだ空気の中で響く。目の前には黒いレクサスが停まったていた。そして後部座席の扉が開き、ブロンドヘアーの女が車を降りた。

"Goodbye ASSHOLE, and good Fuckin' night"
(さようなら、ケツの穴。そしてクソおやすみなさい)

ブロンドヘアーの女がそういうと、黒いレクサスは左に向かって走っていった(左の道は上りだ)。ブロンド女は僕に軽蔑を含んだ流し目をしながらコンビニに入って行った。僕はブロンド女をつぶさに見た。ブロンド女は20代であるにもかかわらず40代のブリトニースピアーズのような容姿をしていた。そしてブロンド女がコンビニに入る手前で、強いシャンプーの香りがした。僕はその匂いを、池袋北口でよく嗅いだことがある。風俗で生計を立てている女特有の匂いだった。
 ブロンド女は商品棚に見向きもせずにすぐレジの前に立った。コンビニですぐレジに向かう人間は一様にシガレットを求める人間だ。ブロンド女はヴァージニアスリムを買うと、すぐに外に出てフィルムを剥いだ。そしてシガレット一本取り出すと、バッグの中をまさぐった。

「Fuck…」
(あぁ、くそ。。。)

女はそう言うと、タバコを吸い終わってそろそろ会社に向けて出発しようと思っていた僕に向かってきた。

「Give me fire」
(火をくれないかしら?)

ライターをどこかに置いてきてしまったそうだ。

「Here you go」
(どうぞ)

 そう言って僕がライターを差し出すと、ブロンド女は乱暴に僕からライターを奪いシガレットに火を付けた。まるで僕が"察しのわるい人間"であることを批判するかのように。
 ブロンド女は2口ほど勢いよくシガレットを吸うと、Thanksなしでライターを僕に返してくれた。僕ももう一本タバコに火と付けた。

「Are you Chinese?」
(あんた、中国人?)
と僕に尋ねた。
「Japanese.Why?」
(日本人だけど、どうして?)
「Just I don't have anything else what I talk about with you」
(それ以外にあなたと話すことが何もなかったからよ)

 失礼なブロンド女だ、僕はそう思った。そっちがその気なら、僕も少し失礼な人間になってもいいな、と思った。

「Are you a hooker?」
(あなたは売春婦ですか?)
「Yes.So what?
(そうよ。だからなに?)
「Ah…How much can I buy you ?」
(いくらであなたを買えますか?)

 ブロンド女は少し考えて、こう答えた。

「Expensive」
(高く付くわよ)
「Now I have just three thousands yen. Is that good enough?」
(今僕は3千円しかもってないんだけど、それでいい?)
「Funny story」
(笑い話もいいところね)

 ブロンド女は鼻で笑った。
 僕はこのブロンド女とセックスすることは諦めた。しかし、世間話くらいはしてもバチは当たらないだろうと思った。3年前、僕は一年間ほど語学留学でカナダに行っていたことがあるのだが、それは遠い過去のように思えて、自分の英語力がどんどん衰退していくのを感じていた。だから、このブロンド女と英語で話すことで少しでも自分の英語力の錆を落とすのも、悪くはない。

「Why did you come Japan?」
(どうして日本に来たの?)
「Just chasing a man」
(男を追って来たの)
「Silly.What's kind of ?」
(愚かだね。どんな男?)

 ブロンド女は怪訝な顔もせず、シガレットを一本取り出し、僕の貸したライターで火を付けた。これから語るには、シガレット一本分足りないようだ。

「It's my "Ex".He and I used to "play" everyday」
(彼は私の"かつて"よ。よく一緒に"プレイ"してたわ)

 僕は彼女の言う"play"の解釈に困った。普通この文脈であれば、"性遊"と解釈していいと思われるのであるが、"Play"と発音した時のブロンド女の横顔は、まるで昔よくひとり遊びで使ったブリキの玩具のことを思っているような顔をしていた。

「We often "play"ed and shared clacker in the room. In that room, we were ONLY two for a long time, and could have only 5 pieces of clacker someone put in drawer with peanuts-buttwr somehow in a day. It was starving life,but Green sunlight streamed down on us from the roof,,,it was like look of GOD... 」
(私たちはよく遊んだわ。そしてクラッカーを分け合っていた。 私たちは長い間たったふたりぼっちで、一日5枚のクラッカーが、誰かの手で、なんらかの形で、引き出しの中に入っていたの、ピーナッツバター付きでね。それはとてもひもじい生活だったけど、緑光が天窓から降り注いで、それはまるで、神からのまなざしのような・・・」

 ブロンド女は語り続けた。Orphanage(孤児院)にいた頃の話だろうか?女は孤児院で一緒に暮らしていた男の子を捜しているのだろうか?それで日本に来たのか?・・・わからない。ブロンド女の話は、自分の具象的な過去の話ではなく、ひどく抽象的で、観念的で、それはまるでブロンド女が長年見続けていた長い夢のように感じたから。

「There was a window, it was only way we can know the shape of "what the outside-world is". We could see a lake from the window. Every year, there was a day, that was the lake became the mirror of the earth. In a special situation altogether, like miracle angle of incidence, the lake reflected whole light, and bright. I never forget how beautiful it was.On a corner of the room, two slug made love and laid eggs in June. I was a child to like to see such things」
(部屋にはひとつの窓があった。その窓が、私たちにとって"外の世界の形"を知る唯一の方法だった。その窓からは湖が見えて、毎年一日だけ、湖は"地球の鏡"になるの。というのも、特別な条件が揃えば、例えば、奇跡的な光の入射角の集まりによって、湖は周りに存在する全ての光を反射させて、輝くのよ。その美しさを、私は決して忘れる事が出来ない。6月、部屋の片隅では二匹のナメクジが愛を交わし、卵を産むのよ。"かつて"、私はそんなことを見るのが、好きだった」

 もはや、ブロンド女は僕に話しかけている様で、誰とも話してはいなかった。"Ex"とは、ブロンド女の旦那か彼氏のことだろうか?それとも単なる幼なじみの男の子となのだろうか?僕はどちらも違うとなんとなく思った。それは"部屋"のことだった。まだこのブロンド女が少女だった頃に存在した、内的な部屋。その部屋は貧しく、陰湿だったけど、そこには窓があり、湖があり、光があり、生殖があった。そう、このブロンド女にはかつて、そこだけで完結した世界が確かに存在していたのだ。
 
「But,,,it suddenly disappeared in me,,, in 2008」
(でも、それは突然私の中に消えてしまった、、、2008年に」

 ブロンド女はリーマンショックのことを話しているのだろう。

「It wasn't related in me. But,,,I had to have responsibility. My parents committed suicide… Then I realized society is responsibility.It's invisible but certainly exists. I had no choice quitting being in the STATE.」
(それは私とは何の関係もなかった。でも、私はそれに対して責任を持たないといけなくなった。両親が自殺して。。。その時にわかったわ。"社会とは、責任のことである"とね。それは目に見えないけれど、確かに存在する。もう、合衆国にはいられないと悟ったわ。。。)

「Fuck the RESPONSIBILITY! Fuck the SOCIETY! Fuck the WORLD!!!! Only thing to make me live up is chasing "EX". But I didn't know where "Ex" gone…」
(クソ責任!クソ社会!クソ世界!!!私の生きる糧は"かつて"を追うことだけになってしまった。しかし、"かつて"は一体どこに行ったのか、私にはわからなかった。。。)
「May is there in Japan?」
(それが日本にあるかもしれない?)
「There are no hint every place in a whole world. In other word, I don't care about which place to seek. Fortunately, my parent Ex.friend gave me visa easily」
(どこにいったって、アテなんかないから、どこでもいいと思ったの。日本に来たのは、両親のツテでビザが簡単におりたからよ)

 僕は財布から3千円を取り出してブロンド女に渡した。

「why?」
(どうして?)
「Just I'd love to」
(ただ僕がそうしたいから)
「…Thanks」
(、、、ありがとう)

 そう言うとブロンド女は3千円を上着のポケットに待った。

「For me, Give&Take is really important」
(私みたいなのにとって、ギブアンドテイクはとても大事なのよ)

 ブロンド女はブリトニー・スピアーズの"Boys"をアカペラで歌い始めた。MVのスピアーズみたいに、セブンイレブンの駐車場を縦横無尽に舞った。

《Let's turn this dance floor into our own little nasty world!》
(このダンスフロアを私たちだけの淫らな世界にしてやりましょう!)

 こんなふうに、真夜中の午前2時、立川と国立の境界線上のコンビニの駐車場をダンスフロアにして、僕はブロンド女と朝まで踊り明かした。
 こんな特別な夜は、3千円じゃ安過ぎたかもしれない。