凸森の思弁的卵かけごはん

アニメ/マンガ/本/音楽/映画/グルメetc...エンタメ関連を中心に、日々の徒然を綴るブログです。

AさんとAさんの奥さん

 今日、仕事に行こうと玄関を出た時(その時はもう夕方だった)、久しぶりに下の階の住む(僕の部屋は一軒家をルームシェア風に改装したものだ)Aさんと鉢合わせた。いつもラフな格好のAさんにしては正装だった(Tシャツにジャケットを羽織っている、僕がよくする格好に似ていた)。
お互いに「お久しぶりです」と一言交わしたのち、Aさんの口から次のような言葉が出た。
「妻が亡くなりまして、今晩人が大勢来て騒がしくなるかもしれないです。申し訳御座いませんが、宜しくお願いします」
僕は驚きを隠せない表情をしたのち、
「お悔やみ申し上げます」
と言うのみで僕はこの場を去った。会社に遅刻していたからだ。
 僕はAさんとAさんの奥さんとは一度だけ、長い話をしたことがある。あの日は、僕が仕事が終わり明け方に家路に着いた時だ。縁側にAさんとAさんの奥さんと"思き人"が座っていて、挨拶をした。"思き人"と言うのは、単純にAさんと比較して、Aさんの奥さんはお年を召されていたからだ。50代だろうか?Aさんが30代前半だと言っていたので、生まれた年が約20年離れている。20年、僕はその歳月の長さについて考えてみた。50歳の僕が30歳の僕に出会った時、50歳の僕は30歳の僕に、どんな言葉をかけるだろうか?また、30歳の僕は50歳の僕に、どんなことを聞きたいだろうか?そう言えば僕も前に付き合っていた女性も、15歳年上だったっけ?ならあまり変りはないのか?そんな取り留めもない空想に浸っている最中、Aさんはとても友好的に僕に話してくれていた。Aさんと僕は同じ大学出で、しかも同学部出身だった。また、Aさんは物書きをやっていて、風俗雑誌の潜入レポの文章やテレビの体験VTRの脚本などを書きながら、押井守にアニメの企画を定期的に提出して虎視眈々と"ネクス花田十輝"的なポジションを狙っているそうだ。しかし、中々企画は通らず、やはり単発の風俗雑誌の潜入レポの文章やテレビの体験VTRの脚本などを書きながら、なんとか 生計を立てていた。
「いつか名前の残る仕事をしたい」
「家内に良い暮らしをさせたい」
「文章を書くのは好きだ。ずっと書いていたい」
 同じ物書きを目指すものとして、Aさんの話はとても共感できたし、同時にとてもやりきれない気持ちになった。Aさんが話している最中、Aさんの奥さんはホープを吸いながら、黙ってAさんを見守っていた。
「今度飲みに行こうよ。僕の友達に君のこと紹介するよ。もしかしたら、何かライターの仕事貰えるかもよ」
「はい!ありがとうございます!」
 それ以降、僕は今のアニメ制作の仕事が忙しくなり、Aさんと会うことはなかった。またに、僕が深夜に帰ると部屋の明かりがついていたことがあった。この時、僕はスーパードライでも持ってお伺いしたいと思った。しかし、日々の仕事の疲れが、僕にAさんへの訪問を億劫にさせた。そして次に会った時、つまり本日の夕方、告げられたのはAさんの奥さんの訃報だった。
 Aさんはこれから、どうするのだろうか?
 このシェアハウスを出ていくのだろうか?
 わからない。
 そもそも、AさんとAさんの奥さんどのように出会って、どのように愛し合って、そして、Aさんの奥さんが亡くなるということは、Aさんにとってどれだけの悲しみをもたらしたのだろうか?
 わからない。
 僕は職場で色指定用の原画スキャンを取りながら、AさんとAさんの奥さんのことについて考えを巡らせて、そして囚われてしまった。
「下らないな」
 そう思った。
 僕がこうして人の死から目を背けて生きていること、僕が他人の悲しみから目を背けて生きていること。
 心底下らないと思った。
 それでも僕は、今でも忘れることができない。蚊取り線香が香る僕の住むシェアハウスの縁側で、僕とAさんは「お互い物書きとして大成するといいね」と慰めあったあの朝を。この時、Aさんの奥さんは笑っていた。背伸びして高い志を言葉にしている、若い僕らのことを、きっとむずがゆく思ったのだろう。

 その日の夜回り、僕は車の中で『君の名は。』の挿入歌「スパークル」を聴いていた。その曲はどこか、Aさんの奥さんに捧げられる、コンテンポラリーな鎮魂歌のように思えた。

 "万華鏡の中で 出来上がった八月のある朝"

https://www.youtube.com/watch?v=Ta_--m3I8Zo